坂の途中から 2014.4.20

✤ 復活祭にあたってある方から「素朴な質問」が出された。「復活は何のために、なされたのか」と。2013年度の終わり頃から私たちは『ハイデルベルク沈降問答』(竹森満佐一訳)の輪読と懇談を始めたが、その「問45」には次の問いがある。「キリストの復活は、われわれに、どのような益を、もたらすのですか」。
✤ 「答」を引用する。「第一に主はその復活によって、死に勝ち、ご自分の死によって、我々のために、得てくださった義に、預からせてくださるのであります。第二に我々もまた、今はそのみ力の故に、新しい命に、呼びさまされるのであります。第三に、我々にとっては、キリストの、復活は我々自身の復活の祝福せられた復活の、たしかな保証となるのであります」。と記し、典拠となる聖書箇所が注記されているので、ご参照ください。
✤ 『私たちの立つところ』の学びでK・バルトを取上げたが、彼は和解について論じた後「本来の問題は、我々がイエス・キリストの甦りを、今や与えられた答えの根拠・確認として、真に重大視する時にこそ、極めて困難なものとして示されるからである。その場合に、『真に重大視する』ということは、…どれほど重要なものであるかということ…イエス・キリストのかつての生と死における存在と行為の自己告知として…、神とのこの世の和解の表白として、彼において近づき来たった御国、彼において生起した神の意志の啓示として、言い換えれば、その根源的根本的な形態におけるイエス・キリストの預言として、この出来事がどれほど重大なものであるかを理解し、示し、概念的に明らかにするということである。」と記し、ハイデルベルク信仰問答の「問い45」を取上げる。(なお論じ、先があるが省略)。
    武井惠一