説教「もっとも大切なこと」2017.4.16

2017416(日)復活日礼拝説教                  
説教「最も大切なこと」   牧師 武井恵一 
聖書 コリントの信徒への手紙一1538節(新約聖書164165
讃美歌(21)20主に向かって」、450「死に勝利された」、
321「静かな喜び」、88,325-1「キリスト・イエスは」

 主イエス・キリストの復活日です。父なる神様、復活されたイエス・キリスト、聖霊の主に心から感謝し、皆様と一緒に復活日を喜びます。
 今日は、パウロのコリントの信徒への手紙一の言葉を与えられ、お話しいたします。
 世界中の人々、また、日本の多くの方々が様々な問題を持ち、これからどうなって行くのか明るい将来を求めている中で、当時、世界そのものとも言えた巨大なローマ帝国を「迫害する国」から「キリスト教を国教にした国」にし、「ヨーロッパを『神様の国』に向かわせる方向づけ」をした使徒パウロの『コリントの信徒への手紙一』から、パウロ先生が言う「最も大切なこと」を話します。
 パウロの言葉は初めて耳にする方がおられるでしょう。今日は「キリスト・イエスが人類で最初に復活された日、永遠の命が与えられる復活日」です。パウロに聞き、これからの生涯に心を向けて下さい。
 わたくし武井惠一が、神学校を出てこの教会に遣わされ丸6年が過ぎました。
 最初は、無我夢中で、――もうガムシャラに、とにかくキリストの福音を豊橋の皆さんが受けとめ、わずかでも前進するために――(新米として・強引に)取組んできました。考えてみれば、豊橋に来たときは、まだ若かった。五十歳はとっくに過ぎていましたが、今より6歳は若かった。今、79歳です。
 とんでもないセッカチな、トっちゃんオッチャンが来たと、皆様は魂消たのではなかったか? と、今振り返って頭をすくめます
 オッチャンという言葉は、赴任する前の夏。和歌山県の教会にひと月実習に遣わされ、一日だけ和歌山地区のこどものキャンプに参加したとき知りました。
 主催する教会に行ったとき、現れた小学5年生の二人のオテンバ少女から、出会いがしらに「おっさん、どこから来たン?」と尋ねられ、変な顔をした私に、もう一人が「おっさんならまだマシや、普通ならオッチャンって言うんやデ」と言われたて知った言葉です。
 その、新米オッチャンがガムシャラに教会で活動しましたが、豊橋というドッシリした山はまだ動きません。大失敗もしました。けれど内緒です。とにかく、豊橋東田教会の皆さんとご一緒に進んでまいりました。心から神様と皆様に感謝いたします。
 聖書のパウロから、今日は「最も大切なこと」を取りあげます。先ほど朗読していただきましたから、皆さんはそれが何か、少し知っています。イマイチ、ではなくもう一度朗読します。
 「15・3 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、
 15・4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、
 15・5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。」ケファというのはギリシャ語で「」を意味します。日本で言えば「お岩さん」。でも、これでは怪談になるから、「岩のガンちゃん」。私と違って大きな体で、ガムシャラに突っ走る弟子たち・使徒のリーダー。
 パウロ先生が、「最も大切なこととして」と言ったのは一つのことですが、四つを言ってます。

 パウロ先生が話した紀元一世紀、今から2016年前ならば、この言葉が人々を魂消させていたのですが、今の日本人にとっては「何が大切のことなのか分らない。どこが、何が大切なの?」と思うでしょう。
 「最も大切」って今の社会で言えば、「自分にとって最も良いこと」、「自分自身で最高に大切って思えること」です。
 いきなり「最も大切なこと」と言っても、「それ、何?」って若い方々の顔が聞いています。
 キリストと言われたイエスという先生が「わたしたちの罪のために死んだこと」「葬られたこと」「三日目に復活したこと」「十二人に現れたこと」。一言で言えば「世界で初めて復活したこと」。
 今の社会で望ましい「大切」は。まず「命や身体の安全」。そして「楽しい・豊かな生活」です。
 「命や身体の安全」は、「三日目に復活したこと」の中に含まれています。
 キリストは十字架に架けられて死に、三日目に復活した。殺されて死んだのに、生き返った。
 復活は「一時的に甦ってのではなく、死ぬことがない永遠の命に甦えった。
 復活して甦った人は、「いつまでも永遠に死なないで生きる人間」として復活する。
 でも、「いつまでも死なない人間」は、死なない長い生涯で何をするのか?
 現代の私たちは「苦しみながら、ただ、ただ生きる」そのような人生を知っています。それは「死ぬよりもマシ」かも知れませんが、酷い労働や病気、苦しみの中で「死んだ方がマシ」と考えて自分自身で死を選ぶ人間も沢山います。
 今日、パウロが記している「最も大切なこと」を「復活=永遠に生きる命」とするならば、そこで「楽しい、豊かな生活」が、「永遠の命」に含まれているかが問題になる。
 では「楽しい、豊かな生活」は、どんな生活、どのような人生でしょうか。「いつも好き勝手なことをし――お酒や御馳走を好きなだけいただき、いやなことは一切しないで、気楽に生きる」、そんな生活がもし出来るとしても、その人間の人生が「楽しい、豊かな生活」ですか?
 「嫌なことは何もせず、好きなものを飲み食いし、したいことを勝手にする」。実際に極端までそのようにした現実の人間を一人知っています。
 「世界有数の富豪・金持ちの御嬢さん」で、大富豪の父親は世界的に有名なトップレディと再婚した人で、彼女はその家族でした。
 その御嬢さんはお金の力でやりたいことを全部し、毎日御馳走を食べ、最高級のカクテルや特性ビール、はては様々な麻薬。そして、肥満で身体がめちゃめちゃになり、最高の病院で最大限の治療を受けたけれど――もはや打つ手がなく、醜い状態で苦しんで死にました。
 「本当に、楽しい、豊かな生活」は、お金や、地位や、環境など、「自分がの思いのまま、自分が欲しいすべてのモノ」によるのではない。
 「喜んで、働き、生き、生かされる――自分の心に合う仲間、信じる存在によって、用いられ、生きがいのある、永遠の生涯を生きる」そのような生き方。
 そんな生涯こそ、「楽しい、豊かな生活」であり、「豊かな人生」です。私は、今、その人生のただ中にいます。
 復活して「永遠の新しい命に生きる」人は、ただ、生きるだけではあり得ない。
 皆さんは、これまで生きてきたどこかで、心が通う友達や仲間と一緒に、厳しい条件や、身体を消耗する労働をした経験をお持ちでしょう。
 そのような労働、ボランテアのような働きは。「時間内だけ勤務すればよい」働きとは違い、苦しい中でも「働く喜び・苦労はあってもやりがいのある働き」だったと思います。
 体の問題や、大きな出来事が起って、急遽、呼ばれたり、自発的に参加したりして、名前も知らなかった人たちと一緒に活動し、働き、過ごした日々の苦労、そして、喜びは、かけがえがありません。これは、普通の仕事でも同じです。そんな生活こそ、「苦しくても楽しい、豊かな生活」です。

 私たちがキリストの復活に関係し、「永遠の命の生涯」に迎えられることは、「いままでの生涯の延長」ではなくて「あたらしく、生きがいのある、喜びの生活に入る」のです。
 今までの人生に問題があったと自覚される方も、問題ありません。
 辛かった過去がある人も、又、逆に「わたしには何の問題もない」と豪語できる人もキリスト・イエスの前では同じです。なぜか? そこには「愛である神・キリスト」がいつも一緒だから。 
イエス・キリストを「私のために死んでくださった――そして、永遠の命を生きる最初の人間として復活された」。「そして、私たちを招き、喜んで迎えられる」。
 私たちも、永遠の命に復活することが約束されると信じます。
 「イエス・キリストは私たちの主―親分です。」と教会で告白し、「洗礼を受けた人は、復活を約束されます。聖霊を授けられ、永遠の命を与えられる」。
 誰でも、どの様に生きてきた人でも、復活を約束される洗礼を受け、永遠の命を与えられる人間として迎えられます。と、はっきり言います。「キリスト・イエスのキリスト教は真実・本物」です。
 「そのままのあなた」で、良いのです、けれども、「口で信仰を告白し、心で信じる」ことが必要です。つまり、教会で洗礼を受けることが必要です。献金は、あなたが決め、少額でもかまいまえん
 何かの試験で合格する必要も、訓練も必要ありません。
 「パウロが『最も大切なこと』と、私たちに言う『復活』」が、どれほど私たちにとって意味のあることか知っていただくことが、今、何よりも大切です。
 後に続く言葉も、もう一度朗読します

 「156次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。
 ここで注目されるのは「そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。」の証言です。
 パウロがこの手紙を書いたとき、500人以上の人に現れたことも大きなことですが、「大部分は今なお生き残っています」これは、この時代にいれば、実際にその目で見た人から直接の話が聞けることです。実際、500人以上の人々の大部分に会える。
 法律的に、この証言は完ぺきに近いとされ、パウロ自身も証言しています。イエス・キリストの復活は実際に起りました。
 これが意味するのは、私たち、ここにいる皆さんも「この証言は信じられる」と、第三者的に理解できること。
 パウロは「神様の神秘」として、こう言っているのではなく、法律的な「証言」の、歴史的なルールに基づいて証言しています。この証言自身は更に歴史的な出来事によって裏付けられています。
 歴史的な出来事とは、当時の「全世界」とさえ言える大ローマ帝国に反逆してユダヤ戦争を起こし、ユダヤ・イスラエル国自体が滅び、消え去ったこと。
 ユダヤ・イスラエル国民が強制的に追放され、残ったのは弱小なユダヤ教と、派生したキリスト教です。
 百人程度で始まったイエスのキリスト教は、前身であるユダヤ教からも迫害を受けました。
 けれど、キリスト教は紀元312年に至ってコンスタンティヌス皇帝によりローマ帝国に公認され、紀元392年、テオドシウス皇帝がキリスト教をローマ帝国の国教にしました。現在の世界史に刻まれました。 
 全世界の統計によると、キリスト教は世界人口の30%に達したとされます。
 日本は、ローマ帝国から見れば世界の東の果て、極東、辺境中の辺境です。
 カトリック・キリスト教が伝えられたのが1549年。1612年江戸幕府が禁教。公認されたのは1873年(明治6年)、キリスト教を禁止する高札が、明治政府によって撤去(廃止)されました。このようにして、キリスト教は日本にきて、今も前進し、永遠に向かって進んでいます。
 キリスト教については色々言われますが、最も大切なことは「神から派遣され、人間として生き、人間として十字架で死に、復活したキリスト・イエスが中心に存在している」ことです。
 どうか、皆さんお一人お一人も「永遠に生きる」復活をご自分自身のものとして下さい。教会に来て下されば、何の問題もありません。自然の内に神を、キリスト・イエスを信じる者になります。
 祈り 讃美歌21321「静かな喜び我は歌わん」