説教 「マリアの賛歌」

20161224日(木)クリスマスイヴ燭火礼拝                  
説 教   「マリアの賛歌」
              
   牧師 武井恵一 
聖書 ルカによる福音書14656
讃美歌(21)264聖しこの夜」、248「エッサイの根より」、
     
88「心に愛を」

 クリスマスイヴのキャンドルサービスにおいでいただき有難うございます。
 主イエス・キリストがお生まれになる夜。今まで、クリスマス・イブのメッセージは、ベツレヘムの馬小屋、荒野の羊飼いと天使、三人の博士の話が多かったのですが、今夜は、「イエス・キリストの母マリアさま」のお話しをいたします。
 マリアさまはイエス・キリストのお母さん、マリアさまのこををお話しします。カトリック教会では「聖母マリア」と呼ばれ、多くの有名な画家に描かれ、音楽でも「アヴェ・マリア」をはじめ多くの歌で讃美されています。
 わたしたちプロテスタント・キリスト教会の者は、ローマ・カトリック教会のようにマリアさまを「聖なる方」として崇拝してはいません。
 もちろん、イエス・キリストを産んだお母さんと言うことは、よく知っています。イエス・キリストの母という全世界でただ一人の人間、神様に選ばれたただ一人だけの素晴らしい女性です。わたしたちは尊重し、尊敬し、感謝し、喜びを歌います。
 マリアさまは、未婚のまま神様の聖霊に包まれて、神様の独り子を人間の赤ちゃんとして出産されました。これは、決して安易な、成りゆきでそうなったとは言えません。神さまのご計画が、神様を信じるマリアによってここに現実として現れたのです。
 人間世界の歴史で初めて起った実際の出来事としての意味。マリア様自身の恐れと、天使に知らされる前の婚約者ヨセフの心の苦しみ。そして、明らかになった喜び。その心を思うと、どれほど讃美し、どれほど感謝してもいいつくせません。
 先ほど朗読したルカによる福音書1章46節から56節は「マリアのマニフィカート」と呼ばれる賛歌です。イエス・キリストは神様によるマリアの処女降誕で誕生されました。この賛歌は、キリスト教で聖書ルカによる福音書で伝えられています。
 マニフィカートというのはラテン語で「崇める」意味です。讃美歌も数々あり、「マニフィカート」という題の讃美歌は㉑177番にありますが、ラテン語だけのカタカナなので、わたしたちは説教の終わりに「我が心は」の題では日本語のマニフィカートを歌います。
 今夜、皆様に伝える中心は、ルカによる福音書に記され、伝えられる「マリアの賛歌」そのものです。
 マリアの処女降誕はルカによる福音書1章26節から記されています。天使ガブリエルがガリラヤの「ナザレの町に住んでヨセフと婚約している、おとめマリア」のところに神から遣わされました。
 ルカによる福音書1章は、前ぶれとして6節からマリアの親戚、年老いたザカリヤとその妻エリザベトの出来事が出てきます。エリザベトは不妊の女とされ、子どもがいません。
 エリザベトが子どもを宿し、六か月目に入った頃、天使ガブリエルが神さまに遣わされ、ダビデ家のヨセフのいいなずけである乙女マリアのところに現れ、マリアに告げます。
 1章28節「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉にとまどい、一体この挨拶は何のことかと考え込むみました、すると、天使は言いました。
 「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高かき方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座を下さる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。
 「ヤコブの家」というのは、神様から「神の民」とされたユダヤ・イスラエルです。
 マリアは驚き、質問しました。35天使は「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。36あなたの親類のエリザベトも、としをとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われているのに、もう六か月になっている。37神様にできないことは何一つない。
 マリアは天使に神にできないことは何一つない」と言われ、答えます。「わたしは主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように。」そこで、天使は去って行きました。
 「はしため」は明治頃まで言われた「低い身分の女性です」と卑下する言葉です 天使ガブリエルがマリアに告げた言葉は「マリアだからこそ受け入れた」と言える言葉です。
 父親不明の出産は、ユダヤ教の律法によれば、死罪にあたります。
 マタイによる福音書では、1章18節に「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。19夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。20このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れずに妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。21マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」と記されています。
 マリアは単なる未婚ユダヤ人女性ではありませんでした。
 神を信じ、自分にとってどれほどの重荷、どれほどの刑罰があろうと「主なる神様」が「天使」を遣わされた「現実を受けとめ、どこまでも神を信じて生きる人間・女性です」。
 だから、神様が彼女をイエス・キリストの母として選ばれました。父親の名は言えません。ヨセフが結婚をとりやめ、公けになれば「天使の告げた預言」は受け付けられず、律法を犯した罪は死刑です。
 ここから、マリアのマニフィカートを丁寧に読んでいきましょう。

 「47「わたしの魂は主をあがめ」
 わたしは、天使から告げられたあなたの言葉を感謝し、主なる神様のあなたを崇めます。
「わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」
 わたしの魂、あなたから頂いている霊は、あなたからの言葉を喜び、あなたをたたえます。
48身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。」
 わたしは身分の低い女性です。ただ、あなたに仕え、あなたのみ心に従うだけの者ですが、あなたはこの小さく、力のないこのわたしまでも、いつも恵みをもってご覧くださり、今、目を留められ、お用いくださいます。
 「今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、」
 神様が御使いをお遣わしくださり、今、このわたくしに告げられたことは、とても大きなこととわかります。今、わたしは告げられたことの大きさを心に思います。この大きなことによって、今の世の人々だけでなく、いつまでも、どこまでも、世の人々はこの出来事を心に留めるでしょう。
 このわたしは、この上なく幸いな者と言われるでしょう。
 「49 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。」
 この世で並ぶ者ない御力をもっておられる主なる神様。あなたが、今までこの世に起ったことの無い偉大なことを今なされ、これからもなされようとして居られますから。それをわたしはお受けします。
 主なる神様、あなたのみ名は限りなく高く、限りなく尊く、わたしたちに臨まれます。
 「その御名は尊く、50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。」
 この上なく尊い神様、あなたが私たち信じる者に注いでくださる憐れみは世々に続き、限りなく広く、主なる神様を畏れ、信じ、御心に従う人間全体に、世々に、いつまでも及んでいます。
 「51 主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、」
 主なる神様、あなたの御腕は誰よりも大きな力を持たれ、その御力を惜しまず用いられます。自らを中心とし、自分を主と思いあがってあなたに背く人間すべてを打ち砕き、それぞれが頼みとする国々を、その権威を依り頼む者たちを打ちのめし、外の暗黒に追い散らされます。
 「52 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、」
 人間が権力を思うままに振るい、至高の座に就いたかのように高ぶる者たちの権力を潰され、滅ぼし、
その座から引き降ろしされる。
 また、身分の低い者、苦しめられ、惨めな生き方を強いられていた人々を高くあげ、生きがいを与えられる。
 「53 飢えた人を良い物で満し、/富める者を空腹のまま追い返されます。」
 虐げられ、飢えに苦しんでいた人々を善い食べ物で満たして下さいます。そして、汚れた富にまみれ、好き放題に食べ、飲み、享楽を欲しいままにしていた者たちをそのままにされません。
 高ぶり、富をむさぼる者たちを退け、その富を空しくし、空腹で幾ら求めても、あなたはそのまま追い返されます。
 「54 その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、」
 あなたの民、あなたを信じ従うイスラエルの民を受け入れて下さり、異邦人の勢力から解放してくださいます。わたしたちへの憐れみをいつもお忘れになりません。
 「55わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」」
 主なる神様、あなたはわたしたちの先祖を支え導かれました。アブラハムとその子孫わたしたちにとこしえの御慈しみを与えて下さい。
 この神様への讃歌、マリアのマニフィカートには、マリアが、その信仰と愛と知恵とよって、神様に特別に選ばれ、イエス・キリストの母となった内実がよく現れています。

 マリアは人間として素晴らしい、信仰に生きる女性です。
 多くの教会でも備えられているW・バークレーの赤い聖書註解書で、彼は「マリアの賛歌」の中に神の三つの革命が歌われていると指摘します。
 第一は「おごり高ぶるものを追い散らす道徳革命。」第二は「権力ある者を引き降ろし、卑しい者を引き上げる社会革命」。第三は「飢えているものを善いもので満たし、富んでいるものを空腹のまま帰らせる経済革命」です。
 このように受けとめると、マリアの讃歌は、「主なる神のご計画、イエス・キリストによる御国が進められること」を主イエス・キリストが生まれる前から、神様への信仰から、心に求めていたとわかります。
 もちろん、この時、マリアは御子イエス・キリストがどのようにこの人間世界で私たちが知っている活動を行われ、どのように苦しみを受け、十字架に付けれられるか、マリアは知りません。
 父なる神様の大計画。主イエスがご自分の命を人間全体の罪のあがないとして献げられたこと。
 ご自分が、すべての人間の中でただ一人、神に背き、逆らう罪を犯していない人間であり、すべての罪ある人間の身代わりとし神に棄てられ、陰府に下られたこと。父なる神が主イエスの成し遂げられたことによって、イエス・キリストを復活させ御国を来たらせた歴史は、まだ秘められています。
 けれど、マリアの讃歌は、イエス・キリストの御業と、その実現への讃歌がすでに含まれています。
 わたしたちは明日、主イエス・キリストのこの世での誕生を祝うクリスマス礼拝をいたします。
 イエス・キリストが神からの聖霊によって、おとめマリアから誕生された、人類全体の喜びの訪れを祝い。礼拝を献げ。聖餐式をもってイエス・キリストの誕生と、主の死と、復活を覚えます。
 今夜はイエス・キリストが生まれる夜。わたしたちは心からイエス・キリストへのマリアの讃歌、マニフィカートを心に受け、歌い、主イエスの誕生をお祝いしましょう。
  祈り   讃美歌(21)175「我が心は」、