説教《イエスの母、兄弟」2016.8.14

2016814日(日)東田礼拝 「神の国連続講解説教22」                  
 説教「イエスの母、兄弟
               牧師 武井恵一 

聖書 ルカによる福音書81921(119頁)
讃美歌(21)13「御使いと共に」、.371「この子ども」、
361「この世はみな」、8850-3「聖霊を降して」

 私たちは、どんな人でもお母さんがいます。お父さんもいます。
もう、お母さんが亡くなられた方もおられるでしょう。お父さんも
そうです。私たちのお母さん、お父さんの思い出はみな違う思い出
でしょう。多くは、子どもの頃や、大人になる前や、一人前になる
あたりが多いと思います。

 今日の聖書は、何度も読み、また、聞いているところで、マタイ、
マルコ、ルカの共観福音書にあります。ほとんど同じ内容ですが、
少し違う言葉もあるので週報4頁コラムに入れました。ご覧ください。


 ここでは最初に、母マリアと主イエスについて、少し聖書をたど
ってみます。

 母マリアは、イエス・キリストをお腹に宿し、ベツレヘムへの厳
しい旅の後で産みました。

 その後、マタイ福音書に記されたエジプトへ逃れた旅はきっとベ
ツレヘムへの旅よりももっと大変な旅だったと想像されます。ロバ
を利用したでしょうが、赤ん坊イエスがいます。ロバの背中は堅く
骨ばって、抱っこして乗るマリアにとってつらい道中だったでしょ
う。

 ルカ福音書にはエジプトへの避難はなく、「神殿で献げられる」
でシメオンがイエスを抱き、神を讃えて「これは万民のために整え
て下さった救い……」と言い、「父と母は幼児についてこのように
言われたことに驚いていた」とあります。また、マリアに「あなた
自身も剣で心を刺し貫かれます」と告げました。(ルカ福音書2・
22-38)、続く39-40節にはガリラヤのナザレに帰り、「幼子はた
くましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」と記さ
れています。

 マタイ福音書では、ヘロデが死に、主の天使に告げられてナザ
レに帰った記事が2章23節に記されています。

 次は、ルカ福音書で、イエス12歳のエルサレムでの出来事。少
年イエスは三日間両親から離れ、マリアは「なぜこんなことをし
てくれたのです。ご覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜し
ていたのです。」とイエスを叱っています。

 「なぜ、こんなことをしてくれたのです」という言葉は、マリ
アとヨセフがひとかたならぬ騒動をエルサレム神殿で巻き起こし
たことを暗示しています。

 この時、少年イエスは「どうしてわたしを捜したのですか。
わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知ら
なかったのですか」と言い、「両親にはイエスの言葉の意味が解
らなかった」と記され、この時、少年イエスは早くも「自分が父
なる神から、この世に遣わされたことを自覚していた」現実が
明らかになっています。

 51節後半で「母はこれらのことをすべて心に納めていた。」と
記されている「すべてのこと」が、少年イエスの自覚まで含んで
いるかどうかは不明ですが、ルカがこのことを含んだ形で記して
いると理解してよいと考えます。

 12歳の主イエスは、この時から神殿ユダヤ教の学者やファリサ
イ派の人々に名前を知られ、注目されました。

 ルカ福音書3章1節から洗礼者ヨハネの登場が記されます。年表
(『キリスト教大事典改訂新版』教文館刊)によれば、紀元14年に
ティベリウスがローマ皇帝に即位したので、ルカ福音書3章「皇帝
ティベリウスの治世第15年」は、紀元29年、この年、洗礼者ヨハネ
に神のことばが降った(ルカ3・2)。

 主イエス誕生を同年表に見ると、主イエスは33歳頃、従弟だっ
たヨハネの後を追ってヨルダン川付近の荒野に現れました。

 この時、マリアは息子イエス、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンと
姉妹二人がいました。ヨセフは既に亡くなり、イエスを頭に、兄
弟たちがヨセフの仕事を継いでいて、生活は、ほぼ世間並みだっ
たでしょうが、マリアは出産と育児、夫ヨセフの死を経て、よう
やく落ち着いたと頃と見られます。

 洗礼者ヨハネの評判がユダヤ全体に広がり、やがてヘロデ大王
に捕らえられた頃、イエス・キリストの伝道活
動はユダヤ全土を
越えてシリアなど周辺にまで広がり、神の国の福音は洗礼者ヨハ
ネを越えて伝えられます。当然ながら、悪意の批評も広がる。


 マルコ福音書3章21節には「身内の人たちがイエスのことを聞
いて取り押さえに来た。『あの男は気が変になっている』と言わ
れていたからである。」と記されており。「身内の人」は、兄
弟や家の者ではなく、同族・親戚の者でしょう。血縁・同族関
係は日本よりも強かった。

 主イエスは先にガリラヤ伝道でナザレに戻ったとき、人々の
賛辞を受けた後、故郷では歓迎されないと事例を挙げ、怒った
ナザレの人々から突き落とされ、殺されそうになった事件があ
ります。また、エルサレムからファリサイ派・律法学者たちが
主イエスの評判を聞いてやって来ると、主イエスをことあるご
とに非難しました。

 先ほど触れた「身内の人」は、自分たち一族の体面・評判に
敏感で、事実を知るよりも先に、人々の評判で同族としての対
応を決め、取り押さえるなど実力行使に走るのが普通だったよ
うです。

 マルコ福音書3章21節の出来事は、すぐ後に「イエスの母、
兄弟」が続いています。

 この記事は共観福音書が最初で、「イエスの母と兄弟たちが
来て外に立ち、人をやっていえすを呼ばせた」と記され、マタ
イ福音書とルカ福音書は直接呼ばせることはしないで外に立っ
ていたと書かれています。

 マルコ福音書では詰問する姿勢もうかがえますが、主イエス
の応答で、母たちとの記事は終わっています。

 主イエスの応答はそれぞれ違い、注目されます。ルカ福音書
では31節「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて
行う人のことである」とお答えになった。

 マタイ福音書12章48節は「わたしの母とはだれか。49節、そ
して、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわ
たしの母、わたしの兄弟がいる。50節、だれでもわたしの天の
父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」

 マルコ福音書は、3章33節から、「イエスは。『わたしの母、
わたしの兄弟とはだれか』と質問で答え、34節、周りに坐って
いる人々を見回して言われた。「見なさい、ここにわたしの母、
わたしの兄弟がいる。31節神の御心を行う人こそ、わたしの兄
弟、姉妹、また母なのだ。」

 母マリアと、兄弟姉妹が主イエスと会い、言葉を交わしたと
いう記事はありません。けれども、この場面は:カファルナウ
ムか、その近くでのことです。

 遠いナザレからやってきたマリアたち一家がそのまま帰った
とは考えられません。主イエスのこの言葉は、母マリアも間
接的にしろ聞いたでしょう。

 ここで、母マリアの立場に立って思いめぐらす必要がありま
す。

 マリアは、カトリック教会では「聖母マリア」ですが、私た
ちは「主イエスの母マリア」としています。人間として御子イ
エスを生んだ女性です。

 彼女の神に対する姿勢はルカによる福音書1章に記され、2章
でも触れています。また、マタイによる福音書では1章に記さ
れ、2章でも言及されました。

 けれども、今日辿ったイエス・キリストの生涯の流れでは、
その信仰は目立った形では現れていません。むしろ、読み方に
よっては、母マリアがイエス・キリストの活動を心配し、取り
押さえる側に立っているとさえ読めます。ここで、誤解しない
ように幾つかの点を挙げておきます。

 彼女において最大の現実は、マリアが「神に選ばれた存在」
であること。神に選ばれた人物は創世記以来たくさんいます。
預言者や、神の民の指導者、油注がれた王など。女性もいます。
女預言者ばかりでなく、マタイ福音書の「イエス・キリストの
系図」には、思いもよらない女性の名前があります。

 マリアの名前も系図に記されていることに注目しましょう。
「神の御心に従った」人間です。

 マリアが生んだ四人の男性と二人の女性は、主イエスが公生
活を開始しし、神の御国の福音を宣べ伝えている間は、誰も主
イエスの弟子集団には加わっていません。(しかし、復活後に
弟子として参加ています。)

 母マリアは、神の御心に従い、誠実に母として生きたと理解
します。ユダヤ・イスラエルの血族関係の強い男性中心社会で
は、父親の亡くなった後は長男が「あるじ」として責任を受継
ぎます。けれども、マリア一家の長男はイエスであり、周りか
ら色々言われ「取り押さえろ」という身内も現れる当事者でし
た。

 そこで、母マリアに責任がかかるのは、どの様な形の同族組
織としても避けられないでしょう。だから、母マリアは子ども
たち兄弟姉妹を連れて主イエスに会うために出かけた。

 そして、あるいは間接的かも知れませんが、私たちが聞いた
主イエスの言葉を聞きました。

 それは、家を飛び出した者が良く言う「放っておいてくれ」
とか「私は私の道をゆく、邪魔しないでくれ」ではありません。

 主イエスが言われた言葉を改めて並べます。
「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人の
ことである」(ルカ)。

「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれで
もわたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、ま
た母である。」(マタイ)。

33イエスは。『わたしの母、わたしの兄弟とはだれか』と答え、
周りに坐っている人々を見回して言われた。「見なさい、ここ
にわたしの母、わたしの兄弟がいる。35神の御心を行う人こそ、
わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」(マルコ)。

 三つ並べると分る通り、「父の御心(神の言葉を聞いて)を行
う人」が、主イエス・キリストの兄弟姉妹だと主イエスが自ら
断言される。

私たちが「神の御心をなさせてください」と祈り、心から現実
に取組む時、主なる神様は応えてくださると信じます。

 主イエスの母マリアの生涯についてもう少しお話しします。
物語や資料ではなく、実際に感じた体験。思いがけない体験を
思い出します。以前トルコのヒエラポリス古代都市遺跡――隣
接して、白亜石灰のパムッカレ露天温泉があります――のこと
を皆様に話したかもしれません。

 ヨハネによる福音書19章26節。主イエスが十字架上で「母と
そのそばにいる愛する弟子とを見て、母に『婦人よ、御覧なさ
い。あなたの子です』と言われた。それから弟子に言われた。
『見なさい。あなたの母です。』その時から、この弟子はイエ
スの母を自分の家に引き取った。」と記されています。

 主イエスの愛する弟子ヨハネは、母マリアを自らの本拠地ト
ルコへ迎えたと聞いたことがあり、今となってはその根拠・
出典が思い出せませんが。私が以前トルコを旅行した時、観光
地パムッカレ・ヒエラポリスというところを観光し、そこから
バスで移動し始めた時、ガイドが、「この近くに有名な聖ヨハ
ネ教会があり、その近くに聖マリア教会もあります」と説明し
たのでハッと気が付きました。

 そこはパムッカレの近郊で、ヨハネ教会はチラッと見ること
が出来ましたが、マリア教会はガイドの説明だけでした。でも、
ヨハネ教会の近くにマリア教会が今も現存する。この事実は、
十字架上の主イエスの言葉を思い出させました。

 ヨハネは、間違いなく母マリアを自身の本拠地に引き取りま
した。自分の本拠としてヨハネ教会を建てそれだけでなくマリ
ア教会も立てます。それは、マリアが主イエスの母であっただ
けでなく、ヨハネにとっても主イエスの母として、ヨハネ自身
のかけがえのない存在であったことを言外に物語ります。

 ヨハネは母マリアと親しく生活する中で、マリアが実際に体
験した事実やエピソードを聞き、「主イエスの誕生についての
証言」としてキリスト教世界にもたらしたと充分考えられます。
あの、ベツレヘムの出来事。羊飼いたちが顔を輝かせて幼子イ
エスを礼拝し、荒野で実際に体験した天の軍勢と天使たちにつ
いて報告を実際に見聞きしたのは亡くなったヨセフを除くと、
たった独り、マリアだけなのです。

 具体的根拠や資料は知りません。
 ただ、当初はイエス・キリストの復活「イースター」が画期
的な出来事で教会が立ち上がる原資となり、ペンテコステにつ
ながって教会が生まれた歴史があります。クリスマスは336年
に異教の<太陽の誕生祭>に対抗し『義の太陽』のまつりとし
て始められたとされますが、ベツレヘムの記事などは、マリア
教会などでマリアによる実際思い出が現在のような形でまとめ
られたと考えられます。

 イエス・キリストの母として「主なる神のみ心」に従い、自
分の道を歩き通したマリアの栄光の冠りです。


  祈り        讃美歌463「わが行く道」