説教『神の国と偽善」2016.7.31柏

tu2016731日(日)柏教会「神の国連続講解説教20R」                  
 説教「神の国と偽善
             牧師 武井恵一 

聖書 ルカによる福音書1217,131頁)
讃美歌(21)説教前、504「主よ御手もて」説教後533「どんな時でも」

 今日は、およそ11年ぶりに懐かしい柏教会にお招きいただき、礼拝
でメッセージを執り継ぐ機会が与えられ、これまに数えきれない多く
のお支えをいただいていることに合わせて心より感謝申し上げます。

 私は2005年柏教会を母教会として東京神学大学に入学、2011年東日
本大震災のさなかに卒業し、豊橋東田教会に赴任しました。6年前に
なります。


 豊橋東田教会は会員12名の小さな教会で、今も似たような規模です
が、今年度は以前に転入会した教会員二名を、一人は東京神学大学、
もう一人は日本聖書神学校に送り出しました。多分、お昼の時間に報
告させて頂きます。

 これからお話しする説教は。マタイによる福音書連続講解説教が今
年2月に終り、続けて
「神の国」連続講解説教を始めて20回目です。
『神の国』は春原禎光先生もよく取り上げられおられました。

 神の国は極端に要約すると「インマヌエルの国=神様が一緒にいて
くださる国」と言えます。

 イエス・キリストの言葉では、「最も重要な掟は『心を尽くし、精
神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』…、
第二もこれと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさ
い』」(マタイ福音書22・36‐39.新約聖書44頁)です。けれど「偽善」
は根本からこれと対立しています。「自分を『神』にして『神の「愛」
をないがしろにする虚無』」だからです。

 今日の聖書は12章1節は「とかくするうちに」から始まりました。
この文章が前の11章に続いて記されている出来事につながっていると
分ります。少し、前の記事から採り上げてお話しします。

 主イエスは11章の37節で、ファリサイ派の人から食事を招待を受けた
ので、食卓に着かれましたが、招待した人が、主イエスが食事前の清め
をしないので不審に思ったことを知り、「実に、あなたたちファリサイ
派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意
に満ちている。ファリサイ派は不幸だ」と言い、色々な偽善をあげて非
難しました。

 11章での最後の記事は53節「イエスがそこを出て行かれると、律法学
者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、色々な問題でイエスに質
問を浴びせ始め54何か言葉じりをとらえようと狙っていた。」で終わっ
ています。

 外へ出ると「数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合う
ほどになっていた」。

 群衆は、主イエスの「むしろさいわいなのは神の言葉を聞き、それを
守る人である。」などの言葉を聞き、もっと話を聞こうとして集まり、
食事の間も待っていた。
 それにしても「足を踏み合うほどに」とは、物凄い人ごみです。

 主は、食事した家から出ると「イエスはまず弟子たちに話し始められ
た。」これは、主イエスがいつもと同様に弟子たちと一緒にファリサイ
派の人の家に入って食事をしていたことを示しています。

 主イエスは普通の状態で家から外へ出てきた場合、大勢の群衆が家の
前に集まっていれば、まず、彼らに声をかけたでしょう。けれども、こ
の日、食卓で主イエスは律法学者から「先生、そんなことをおっしゃれ
ば、私たちをも侮辱することになります」と言われ、弟子たちも聞いて
いました。

 主イエスはなお、「あなたがた律法の専門家は不幸だ」と彼らに鉾先
を向け、「先祖が殺した預言者や使徒たちの血について責任を問われる」
とまで皆の前で厳しく指摘された。弟子たちはこの言葉で青くなって心配
し、主は弟子たちのこの様子を見ておられた。

 主イエスは、ファリサイ派に向かって歯に衣を着せないで、正面から厳
しく指摘し、非難しました。

弟子たちが聞き、心配し、青くなった有様を見て、主イエスは弟子たちの
問題に気付かれた。

 だから、主イエスはその家から出ると、群衆に語る前に、まず、弟子た
ちに言われた。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは
偽善である。」ファリサイ派の家を出たばかりのところで、ファリサイ派
の人々も家を出て「何か言葉じりをとらえよう」と一緒にいる。

 そこで、かなり長く待っていた群衆よりも先に、まず、弟子たちに語り
かける。

 それは、これから彼ら弟子たち自身が、この世で「神の国を宣べ伝え
る」働きの中心となる上で「これではいけない」と、見られたからです。


 彼ら弟子たちが「この世で力を持つファリサイ派、律法学者、そして、
神殿の祭司長たちや民の長老たちを恐れ、言わなければならない非難や、
指摘が出来ずにいては、福音が福音でなくなる」。

 もちろん、これはすべての人々、特に神の国を求めるすべての国民、
キリスト者について、とても大切なことです。

 とりわけ「神の御国の根幹になってゆく弟子たち」においては、決定
的に大切なことです。

 だから、ここで、イエス・キリストは「神の御国」の在り方の実際の
大切さを、まず、弟子たちにしっかり植えつけられる。

 これは2000年あまりの年月を隔てた私たち、「弟子である私たちにと
っても大切なこと」です。

 神の御国を信じ、主イエス・キリストに従い、そのために働く者に、
欠かすことのできない、重大なありかたです。主イエスはここで何と言
われたか。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい」。

 こうなると「ファリサイ派とは、どの様な存在か」が私たちにとって、
課題になります。既に皆さんご存知でしょうが聖書に記された用語解説
(聖書の巻末、(39)頁)にファリサイ派の解説があるので、ここで朗読
し、少し補足を加えます。

 ファリサイ派はハスモン王朝[旧約聖書続編『マカバイ記 一・二』参
照、主イエスの前、イスラエル最後の王朝ハスモネ家―マカベア家]時代
に形成されたユダヤ教の一派。イエス時代にはサドカイ派に並んで民衆に
大きな影響力を持っていた。

 律法学者は多くファリサイ派に属していたと思われ、しばしば並んで記
されている(マタイ福音書23章2節など)。律法を守ること、特に安息日
や断食、施しを行なうことや宗教的な浄めを強調した。

ファリサイ派の由来は諸説があるが、恐らく律法を守らない人から自分た
ちを「分離した」という意味であろう。福音書ではイエスの論敵として描
かれる。


 主イエスは「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善
である。」と言われました。パン種はイースト菌ですが、この場合は「感
染しどんどん増える悪い菌」にあたります。

 新約聖書のファリサイ派の人々に対する主イエスの非難は、ルカ福音書
11章37節から52節と、20章45節から47節150-151頁。マタイ福音書23章
1節から36節45頁。マルコ福音書12章38節から40節88頁などにあります。

 12章4節から7節は、主イエスが「友人であるあなた方に言っておく。」
と、口調を改めて続けられます。

 実はここに翻訳されなかった言葉があります。聖書が書かれた原本は現
在なく、書き写された「写本」を
各国で自国語に訳されており、各地の聖書
は直訳や意訳がされ、新共同訳聖書は意訳を重視し、一部の言葉を省略し
ました。ここでも「わたしの」という一語が省略されています。

 主イエスが言われたのは「わたしの友人であるあなた方にわたしは
言う」で、この「わたし」は、弟子たちがただ従う弟子ではなく
「わたしと共に神の国の福音を宣べ伝える、同労者であり『友人』」と
しての呼かけです。

 主イエスはここで、弟子たちを「わたしの友人であるあなた方に」と、
意識された。神殿ユダヤ教の権威を持つファリサイ派・律法学者を恐れる
な、心配するなと言われた。

 これは、また、「偽善をしりぞけるイエス・キリスト、神の御国の主」
の呼びかけです。

 主が「わたしの友人であるあなたに言っておくが」と言われた言葉はま
だ続きがあります。やはり大切な続きです。

 「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはなら
ない。」
「だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に
投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れな
さい。」

 たしかに、「殺されるよりも、地獄に投げ込まれる方が、はるかに恐ろ
しい」。これこそ、主イエスが言っておられる方だ……ということは、こ
れは「地獄でも権威を持ち、現実に行うことが出来る方。父なる神です」

 「そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。」
 「6 五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一
羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。7 それどころか、あなたが
たの髪の毛までも一本残らず数えられている。

恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
 これは、21世紀の現代に生きる私たちへの指摘です。「神を恐れない私
たちの日常」。「神がいつも共にいてくださるのを意識しない私たち」。
力ある者の手で「偽善」が行われている「現実を知ろうとも、問題にしよ
うともしない-できない」私たち。

 今日の世界は経済的な強者が、弱くて力のない弱者をなお痛めつけ、政
治は「ちゃんと機能しています」と、偽善同様のことを堂々と言う。
少なくとも私たちは偽善を改めたい。

 考えてみると、今まで「神の国連続説教」で何度も「神の国は現実の
この世界で完成に向かって進んでいる」と話し、聞いていただきました。


 主イエスが「神の御国の在り方」として「偽善をなくそう」と言われて
いる。現在の世界で「神の御国」の取り組みでは「偽善が通用しない
世界。それぞれの地域」への働きへ実際に向かっている。

 私たちの世界をそのような目で見ると、「必要悪とされている偽善」が
具体的に目につく。目に余る。また、経済がグローバル化し、色々な事が
システム化し、個人では手が届かない流れが「常識」的になっている世界
社会、日本社会があります。

 「経済的発展」がどの国、どの地域でも政治・経済で優先されている以
上「知らずに行われている偽善、当たり前になっている偽善」がはびこり、
「社会的、世界的な偽善」がまかり通っている。

 この礼拝説教はもちろん、社会改革の説教ではありません。「神の国連
続説教」の一環です。

 けれども、主イエス・キリストが「神の御国を完成に向かって進める」聖
霊の活動にとっても、「全世界での社会的偽善との戦い」は避けて通れない
大きな課題です。暴力や武器を用いない、憎しみもない大きな取組。

 今、日本のキリスト教人口は1パーセント未満とされています。
 特にプロテスタントの低落が大きい。
 けれど、かつての貧しい日本では、もっと少なかったキリスト者の中か
ら、日本人に目を覚まさせる動きが起りました。

 貧しい人々に目を向けた病院や医療。学校や教育での開拓的働き、社会
福祉分野での児童福祉、障碍者福祉。その根っこに、そのような働きを駆
り立てるイエス・キリストの福音が息づいていました。

 私たちが「神の御国が完成しますように」と求める祈りは、様々な願
い、祈りと共に「私たちに、できることをさせてください。用いてくださ
い」の祈りです。「神の国の福音」は、教会・キリスト教の枠の中だけで
なく、様々な働きがあります。

 私たちにとって「偽善を克服し、神の愛・隣人への愛を実現する」働き
は、自分自身を改革する働きであると同時に「神の御国完成に向かう」働
き、主イエス・キリストと聖霊によって活動する動きです。

 私たちは主イエスに従い、伝道と、愛と、癒しと、平和と、慰めと、平
等と、自由と「神の国への多くの働き、様々な働きに用いてください
」、
と祈ることが出来ます。それは実際に神の国へ向かう道です。

    祈り        讃美歌533「どんな時でも」