坂の途中から 2016.10.16

坂の途中から 2016. 10・16

✤今日の聖書箇所は、私にとって礼拝説教で皆さんに解き明かす
が困難な箇所の一つでした。そのような個所はいくつかあります。
その一つは、9月4日「地上に火を」でとりあげたルカによる福音書
12章49-53節、主イエスは「わたしが地上に平和をもたらすために
来たと思うのか、そうではない、むしろ分裂だ――父は子と、子は
父と…」の箇所は9月2日、苦しんだ日に与えられ、話しました。

✤今日のルカ福音書22章36節後半「剣のない者は、服を売ってそれ
を買いなさい。」も解き明かすのが難しい。聖書の言葉は「神の霊
感によって成り」と私たち自身告白しています。いいかげんな妥協
や、「もしかすると」などの仮定は許されません。

✤一番重要と見られるポイントの理解は説教の中で語
ります。イザヤ書53章12節で預言されている言葉「彼
が自らをなげうち、死んで/罪人の一人に数えられた
からだ」によって、解き明かされました。けれど、一
人一人が心に納めるのは、難しいでしょう。

「剣を用いる」のではなく「剣を求め、抱いて」でも分りにくい。
ここで、もう少し「剣を抱いて」を補足します。説教の言葉で
分るように補足するのは困難なので、ここに記すことから一人一
人これを深め、分っていだだきたいからです。もう一つ同じ聖書
箇所にある鍵。イザヤ書53章8節。「彼が神の手にかかり」です。

「捕らえられ、裁きを受けて。彼は命を取られた。彼の
時代の誰が思い巡らしたであろうか/わたしの民の背
きのゆえに、彼が神の手にかかり命ある者の地から断
たれたことを。」主イエスが「神に見捨てられ、断た
れた」とイザヤは預言しています。

✤ イエス・キリストは正に、人間すべての背きを負
い、断たれた。しかし、絶滅ではありません。「絶た
れた」のではなく「断たれた」。主イエスが「剣を抱
いておられた=絶ち切られない芯を持たれていた」
から、「絶ち切られなかった」。「剣」をそう理解
します。言い換えれば「神の剣を、内なる剣で受け
止められた。」

 主イエスは使徒たちに「剣で切られても、受けと
められる剣」
を抱くように指示された、と理解しま
す。
(武井惠一)。